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一日一自慢(& 一言い訳) One Boast(One Excuse) a Day
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    あと3週間でお花見超混みになる京都にて
    京都→鞍馬口→四条河原町。

    日曜ではありますが堀井令以知先生インタヴューの日。




    ↑勝海舟の直筆の書。
    9時25分集合でh-C氏と待ち合わせ、京都っこcam-H氏と合流、車で移動。大変麗しい一日。インタビュー途中でICレコーダがバッテリー切れしていた一点を除けば…(so shocked!)

    ご協力くださいました堀井令以知先生、新村祐一郎先生、玉村文郎先生にも、C氏cam-H氏にもふかく感謝。

    終了後は京都ロコH氏ご案内でおめん銀閣寺本店へ。
    景色もお天気も申し分なく、気がかりなICレコーダの件さえなければ何もかも揃って超happyだったのでありますが、そう簡単に100%にはさせてくれないようでc'est la vie〜っと笑うしかなく、ハ〜、sigh。堀井先生のせっかくのお話が完全に録れていないことに気づいてひとりずっしりブルー、とはいえ起死回生のチャンスはまだ有りと一縷の望みにかけて務めて明るく。勝負はまだ決まってない、原稿、そしてその後のリアクションまで息は長いのだ、努力次第で挽回できると自らを鼓舞&叱咤激励。

    ぽかぽか陽気でpeacefulな哲学の道を横目に車が進んで、知恩院(看板だけだったのを間違えて「通り過ぎた」と言ったら、京都通のお2人に「まだ通ってない」と全否定されごまかし笑い。ここのHPは4/1からサイトリニューアルのお知らせが出ていてビックリ)、お家騒動に揺れている一澤帆布も通り過ぎて、四条河原町あたりでH氏とお疲れ様解散。

    僅かな残り時間でH氏がすすめてくれた京都祇園・原了郭(はらりょうかく)の黒胡椒をお土産にゲット、京都に50回以上来ている京都通C氏は自分のお買い物があるとので、H氏おすすめの錦市場の有次まで連れて行ってもらい、C氏とここで解散。有次で名前入りマイ包丁を奮発(カードが使えず思わぬ出費で東京に帰り損なった→東京駅に着いたとき現金僅か100円ぐらい、メトロカードに感謝)。C氏が村上重に行くと言っていたので錦市場でお漬け物も。

    錦市場のどん詰まりのほうまで歩いていくと、一軒だけ異常な長蛇の列。大安という魚屋さんで牡蠣が名物らしく、生牡蠣をその場で割って白ワインと供するというナイスアイディアな立ち飲みブースを設けているのでありました。マルシェの活気と日曜の夕暮れが始まった頃の人々のユルい表情もよい感じ、興味を引かれたけれど1人じゃなーというわけでその場をあとに。

    京都に行ったら寄りたかったアスタルテ場所を遠い記憶を辿って探したものの辿り着けず、ケータイで調べようにもバッテリー切れしてしまい、auショップに行くもバッテリー充電サービスはしないと断られ(東京はどこでもしてもらえるのに)。ウロウロ探しているうちにCAMDENという店にフラ〜ッと吸いこまれ、ここのスタッフの方のほめ殺しに調子にのってなぜかjunkfoodのラインストーン付黒Tシャツを購入してしまうのでありました、junkfoodはXSがなくていまひとつフィット感が得られないのが納得いかないのに、これしかないと強力プッシュされ。ココロ此処に在らず状態のココロはそれでも少しも落ち着かないのでありました。 



    my memo 1
    ほっそりとしていつも着物姿で、いかにも明治の国語学者らしい新村出先生(biography下記)。谷崎潤一郎と座る写真などが飾られています。お床の丸い
    柱にも由緒ある住まいの風格が。客間の柱に、先生が晩年詠んだ短歌の直筆の短冊があります。「老情自娯 由緒ふかき東山辺の松雪と三つ四つ老いの日々とを愛づ」。襖の上には勝海舟の書、「美意延年(びいえんねん=心楽しければ長生きをする)」も。




    my memo 2
    @新村出記念財団。建物の一部は、新村出旧宅。『広辞苑』の編纂もここで行われました。邸宅は、鴨川の西畔に住んだ木戸孝充(きどたかよし、前名桂小五郎)の別邸の一部を譲り受け、大正12年('23に移築したもの。部屋数の多いゆったりとした平家建てで、庭には泰然木や朴の木、酔芙蓉、梅などが品よく植えられています。先生は、雨戸の開け閉めも毎日自らされ、愛着をもって住まわれました(新村親子三代に仕える入江さん談)。没後、遺族により未発表の論文、手稿、講義録、往復書簡などが編纂され、『新村出全集』(全15巻)となって出版され、なお多くの資料や手稿が残るため、それらを中心に1981年5月に法人として設立。広く研究者の利用に供し、さらに資料を充実して国語研究に貢献しています。'94年、同地に重山文庫を竣工。
    今年2006年5月で新村出記念財団が25周年を迎え、5月21日(日)、記念講演が開かれます。同志社寒梅館ホールにて14時時より。講師:梅原猛氏(日本語の成立)、井上ひさし氏(辞書の話)




    my memo 3
    分類された図書カードから本・雑誌を検索し、閲覧できる。たとえば「南蛮・キリスト教関係書誌」の引き出しには、「南蛮・開化を知るための10冊 百目鬼恭三郎著文藝春秋デラックス1978.9 p178-179」というカードが。書庫には、日記・日誌、日伊学会年報、日本美術工芸、英文の当方美術公報、日本の学会議事録、浪漫古典、アララギ、アルビオン、江戸軟派研究、エスペラント、スバル、学友会、短歌研究、東西語法etc.。ヒラヒラと見出しのついた資料の束がうずたかくズラリ。




    my memo 4
    新村出先生は、10円日記にヒモをつけて着物の懐に入れ、常に携帯。寝床では必ず日記を付けていた。堀井先生も文中にあるように小学生の頃から日記を欠かさない。先生おふたりに共通する習性・習慣。日記を書くこと。紙とペンを携帯してなんでも書き留められること。頭がよくなりたい人は真似しよう。




    my memo 5
    新村 出(しんむら・いづる)biography 1876−1967年(明治9−昭和42)。言語学者。山口県生まれ。東大博言学科卒。上田万年に師事し、近代日本言語学・国語学の基礎を築く。1900年(明治33)結婚。若き日の洋装姿はいかにも明治の文学青年。1904年(明治37)東大助教授、1906年(明治39)11月〜'09年(明治42)4月、英、ベルリン、パリに留學。'07年(明治40)京大助教授、'09年(明治42)京大教授、翌年文学博士。キリシタン語学、語源語誌説に卓見を示す。大正12年('23)に木戸孝允旧宅だった邸宅を買い取り、北区小山中溝町の地に居を定める。'32年(昭和7)欧州各国へ出張。'36年(昭和11)定年退官、同大名譽教授。以後日本音声学協会、日本言語学会、'53年(昭和28)日本エスペラント学会顧問、日本方言学会などの会長歴任。'55年(昭和30)『広辞苑』第一版刊行、翌'56年(昭和31)文化勲章授章。京都名誉市民。'67年(昭和42)8月、永眠。享年92歳。著書は200冊以上、年3冊は発行していた計算に。主著『南蠻更紗』(大正13年)『南蠻廣記』(大正14年)『東方言語史叢孝』(昭和2年)『東亞語源史』(昭和17)ほか。『新村出選集』4巻(昭和18〜22),『新村出全集』15巻(昭和60年・筑摩書房)辞書出版は12種。『辭苑』(昭和10年博文館)『言苑』(昭和13・博文館)『言林』(昭和24・全国書房)『広辞苑』第一版(昭和30・岩波書店)など。




    my memo 6
     明治14年に父が元老院議官となったため一家で東京へ移り、東大に進み、国語学言語学を学んだ、若き日の出先生。このころ、「新英大辞典の偉業に目をみはって海彼にあこがれ」、「あんなに整った辞典を編んでみたいものだと、たのしい夢を見た」と、『広辞苑』初版の自序に打ち明けています。当時、アールヌーボーの唐草文様が建築やカフェのガラスをうねっていたヨーロッパ。イギリスでは70年を費やして『オックスフォード大辞典』(第一巻・明治21年)が完成し、ドイツではグリム兄弟が1860年代から『グリム・ドイツ語辞典』(1961年刊・全33巻)を著しています。これらは古典籍から引いた用例文をちりばめた編纂方法で、辞書を読む楽しみがそこには広がっていました。
     欧州留学の折に、英米独仏の大辞書の完備を間近に触れて、「限りなき羨望の情が動き、ひたむき学究的な理想にのみふけりつつ、青春の客気で現実的方面については一層暗愚であったことは、後年とほぼ同様」だったとのべている出先生。そして自身の研究が、音韻や文字、語誌に向かっているため、「分解を主とし、綜合にうとかった」と、こんな自省もみせています。
     しかし、この分解への好奇心と眼差しのおかげで、のちに世に送り出す『広辞苑』は古音を明らかにし、日本語と関係の深い東方諸民族の言語との比較や語源への記述も多く、国語+百科辞典のような面白さを提供し、国民の言語生活に大きく寄与する辞書としてベストセラーになるのです。
     『広辞苑』を開いたときのたのしさは、古典からの用例や図版がちりばめられているせいで、本来の探しもののコトバ以外の項に、つい目が寄り道し、思わぬ発見を得ることもあるのでは。若い日にヨーロッパの辞書に憧れてくれて先生アリガトウと、気楽な利用者は思うのですが。




    | pickyoko | - | 23:07 | comments(1) | trackbacks(0) |
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        自分で書いたけど改めていいことメモっていたな〜、忘れているのが悲しい、と思いまたremind。

        「「限りなき羨望の情が動き、ひたむき学究的な理想にのみふけりつつ、青春の客気で現実的方面については一層暗愚であったことは、後年とほぼ同様」だったとのべている出先生。」 ← まったく今も自分がそのとおりでビックリです。

        「そして自身の研究が、音韻や文字、語誌に向かっているため、「分解を主とし、綜合にうとかった」と、こんな自省もみせています。
         しかし、この分解への好奇心と眼差しのおかげで、のちに世に送り出す『広辞苑』は古音を明らかにし、日本語と関係の深い東方諸民族の言語との比較や語源への記述も多く、国語+百科辞典のような面白さを提供」」

        失敗から何かが生まれるのが天才、失敗から何も生まないのが凡才、とここに明暗クッキリ感が。
        | pickyko | 2011/03/07 11:07 AM |









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